2007年08月31日

"The God Delusion"訂正追記あり

リチャード・ドーキンス 2006年 

斜体部分が追記です。最後の部分にもあります。

オックスフォード大学教授が書きベストセラーになった本です。内容は主にユダヤ・キリスト教への批判ですが日本語訳はまだ出ていないようです2007年5月に「神は妄想である−宗教との決別−」という書名で出版されています。

アマゾンの商品説明を以下に抜粋します。

多くの国で、中世からの宗教定義が女性やゲイの権利といった基本的人権への侵害にいまだに手を貸している。すべては存在を証明するものが何もない神への信念に端を発しているのだ。

ドーキンスはあらゆる方法で神を攻撃する。宗教の最大の主張を骨抜きにして、絶対的な存在すなわち神が絶対に実在しないと論証する。


検索すれば原書を読んだ方の感想がいくつか出てきます。書評サイトや感想文を読んだところ、教授が批判しているのは、ごく普通の一般的キリスト教徒が対象で、必ずしも原理主義のような過激な教団だけがターゲットになっていないそうです。

以前このブログで紹介した「ユダヤ・キリスト教『世界支配』のカラクリ」でも欧米人の傲慢な態度の背景にある宗教を批判していました。教授の本でもユダヤ・キリスト教がなければ9.11やアフガン・イラク戦争、十字軍やホロコーストなどは起きなかっただろうと書いてあるそうです。

そして、幼い子どもに特定の宗教の教義を刷り込むことは虐待だとまで主張しているそうです。敬虔な宗教者や聖職者の家庭に生まれた子どもは、皆虐待されていることになるのでしょうか・・・。

英米がキリスト教を国教にしていること、米国大統領が聖書の予言を公言し、戦争に臨んだことなどがこの本をベストセラーにした時代の要請かも知れません。

原書を読んだわけではないけれど、私の感想は神が存在するかどうかはどうでもよくて、聖書(および外典)に何が書いてあるかが問題なのだと思います。ちなみに教授は「人がなぜ存在し、何のために生きるか」という質問は、答えるに値しないと言っているそうです。

教授へのファンレターはこちらへ。
罵詈雑言はこちらへ(^_^;)。

教授が参画している「ブライト運動」のHPはこちらです。この運動では、科学的世界観をもつ人々が無神論者であることを公言しやすくし、科学的世界観が広く受け入れられるようになることを目指しているそうです。
posted by PFC at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | | 更新情報をチェックする

2007年08月04日

週刊新潮8月9日号

※雑誌へのリンクはここです。

私はどちらかというと文春の方が好きですが、この号に先日書いた「アフガンで人質殺害」に関連する記事が掲載されていたので読んでみました。

記事によると韓国では喫茶店の数より教会が多いと言われるぐらい信徒が多く国内での布教活動はすでに飽和状態なのだそうです。それで必然的に海外への宣教が盛んになり、今回のような事件が起きてしまったというわけです。

記事には儒教思想が根強い韓国でキリスト教が広く受け入れられたのは、父権主義であるところが共通するからだとも書いてありました。つまりどちらも男尊女卑なのでしょうね。

私の感想を言えば、聖書の予言(最終戦争=ハルマゲドン)を信じる福音派は戦争と馴染みやすいのだろうと思いました。日本でも福音派の牧師が現在の世界情勢を「予言が実現していく」と言って喜んでいるのを目にしたことがあります。

アフガン・イラク戦争を支持したのもアメリカの福音派だったし、今回アフガンで人質になった人たちもその系列の教会に所属しているようです。

もともと韓国は徴兵制がある国で、その点でも神様が「平和ではなく剣をもたらすために来た」と書いてある聖書の言葉を抵抗なく信じる土壌があったのかも知れません。

なんにせよ、キリスト教の教えが平和とはかけ離れていることは間違いないのでは・・・。





posted by PFC at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | | 更新情報をチェックする

2007年06月26日

2冊まとめて

「小学生日記」hanae著
2「『あまえる』ということについて」ポプラ社「日本語ということば」収録作品

どちらも女子小学生が作文コンクールで賞を取った作品です。2の方はネットで絶賛している人の感想をいくつかみかけました。

宮沢賢治の「セロ弾きのゴーシュ」を読んだ感想文を自省録風に展開していく文章が子どもとは思えない観察眼で描かれています。

最初は説得力ある文章に感心ながら読んでいましたが、読み進むうちに違和感を覚えました。あまりにも自己の内面を客観視しているので、好奇心や興味が外へ向かって開かれていく子どもらしい無邪気な視点が感じられないせいかも知れません。

小学生でここまで突き詰めて考えてしまうと思春期を迎える頃には、ノイローゼになるんじゃないかと心配します。もっとのびのび甘えていいと思うけど・・・。

1はタレントさんが書いた本です。アメリカ人の父と日本人の母がいるために双方の国で生活し経験したことを的確に言葉にしています。文化人がアメリカを語る時、多文化共生という言葉が使われるけれど、当事者にとってそれが意味することはまた別のようです。

両親の離婚後、アメリカで父親と暮らしていた兄の言動を活写した文章は、安易な文化論をきっちり批判していて小気味がいいです。

現在の著者と最新作「本を読むわたし」はこちらのサイトへ。

読書感想文をベースにした自己省察文・・学校教育でそういう書き方が指導されているんでしょうか?「本を読むわたし」は文章の展開が2と共通しているような印象を受けました。

子どもが書いた文章を侮ることなく、夏休み前に作文指南のつもりで読んでおくといいかも。
posted by PFC at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | | 更新情報をチェックする

2007年05月11日

生誕100年

4月29日生まれの詩人です。誰でしょう?
答えはこちら

GWに開催された記念祭典には、有名無名の人々が集ったようです。なかには、ちょっと意外な人も・・・。

ちなみにこの詩人は、自分が生まれた4月のことをこんな風に詩に書いています。

閑 寂

なんにも訪(おとな)ふことのない、
私の心は閑寂だ。
    それは日曜日の渡り廊下、
    ――みんなは野原へ行つちやつた。

板は冷たい光沢(つや)をもち、
小鳥は庭に啼(な)いてゐる。
    締めの足りない水道の、
    蛇口の滴(しづく)は、つと光り!

土は薔薇色(ばらいろ)、空には雲雀(ひばり)
空はきれいな四月です。
    なんにも訪(おとな)ふことのない、
    私の心は閑寂だ。


続きを読む?
posted by PFC at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | | 更新情報をチェックする

2007年05月07日

自己(エゴ)の緑化

この記事は「世界は恋人 世界はわたし」「美しい話」の続きです。

「エコロジー運動がしきりにモラルを強調してきたおかげで、一般の人びとに、自分たちがある種の犠牲を求められているという誤った印象を植えつけてしまった。」と本書にあります。

「もっと責任感をもち、もっと関心を示し、もっと高い道徳水準に達しなくてはいけないのだ、と。」

エコロジー運動だけでなく平和運動にも同様のことが言えると思ったので、この部分をもう少し引用してみます。

著者は独立した自我(エゴ)の牢獄から抜け出すという意味で「自己の緑化」ないし「エコロジカルな自己」の出現を提唱します。そのためには、善行が必要とされない点に注目して欲しいと言うのです。

エゴの木


続きを読む?
posted by PFC at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | | 更新情報をチェックする

2007年05月05日

美しい話

前回紹介した「世界は恋人 世界はわたし」の続きです。

1965年から66年ごろ、著者はチベットでラマ僧や在家の人々に出会います。当時中国のチベット弾圧から逃れてきた難民を助ける活動をしていたのです。

その中のひとりであるラマ僧が、自分が経験した中国軍の残虐行為について涙を浮かべながら著者に語った時のことを次のように記しています。

「かわいそうな中国人たち」彼はそうつぶやいた。不意をつかれて、私の体に身震いが走った。彼の涙は、自分自身や、僧院の僧たちや、かつてチベット東部カム地方に知れわたったその出身寺、ドゥグ大僧院のために込み上げたものではなかったのだ。それは侵略者たちのための涙であった。


著者はこの時のことを、どの宗教にも説かれている「慈悲(痛みの共有)」について、あらためて見直させられる経験だったと書いています。

続きを読む?
posted by PFC at 20:45| Comment(0) | TrackBack(0) | | 更新情報をチェックする

2007年04月21日

「世界は恋人 世界はわたし」

ジョアンナ・メイシー著 星川淳訳 1993年筑摩書房発行
”wrold as lover, world as self”Joanna Macy 1991
※この記事の続きは「美しい話」「自己(エゴ)の緑化」にあります。

環境問題やエコロジー思想に関心のある人の間では有名な本なのだそうです。折りしも明日(22日)はアースデイ。この本が私の手元にやってきたのも何かの縁でしょう。

1929年生まれの著者は、牧師だった祖父の影響で若い頃は聖職者を目指していたそうです。結婚後インドでチベット仏教僧に出会ったことがきっかけで仏教を学び、スリランカのサルボタヤ運動の調査をします。

80年代は仏教学者として大学で教えながら市民運動にもかかわり、エコフェミニストとして活躍しました。本書のタイトルは地球環境と自己との関係を仏教の縁起に基づいて表現しています。

私が仏教起源の手法をとくに重視するのは、それらが<相互依存的連係生起>、つまり万物の深い生態学的つながりに根ざしているからである。


キリスト教と仏教の根本的な違いや、なぜ仏教がエコロジカルなのかが、キリスト教徒の視点で捉えられています。最も大きな違いは次の一節で述べられています。

世界に対して味わう痛みをありのままに認めるとき、仏教用語の「慈悲」にあたる英語のcompassion(痛みの共有/思いやり)は、本来「ともに苦しむ」という意味であったことがうなずける。

この世界とともに苦しむことによって、私たちはいま、慈悲の大きな輪に加わってゆく。(略)私たちはそれによって力を取りもどすことができるのだ。


続きを読む?
posted by PFC at 21:30| Comment(2) | TrackBack(0) | | 更新情報をチェックする

2007年04月15日

「私の暮らしかた 第六回」

以前「音楽」のカテゴリーで紹介した雑誌「考える人」にミュージシャンの大貫妙子さんが連載しているエッセイです。2007年春号では、今年の1月に旅をした中南米のことが取り上げられています。

反戦や環境問題に積極的に取り組む女性らしく、訪問したコスタリカが平和憲法をもつ国であることや環境政策を推進していることなどが硬質な文章で綴られています。

エッセイによると、コスタリカにはモンテベルデという自然環境保護区があるそうです。その中にスウェーデンの教師や子供たちが関わることによって「国際子どもの熱帯雨林」として確保された保護区があるそうです。

さすが福祉先進国と誉めたいところですが、実はスウェーデンには徴兵制があったり、数年前まで断種法で強制的に不妊手術をしていた国でもあるのです。

スウェーデンは自然環境には優しいのに、人間の生命には厳しい選択をしている(た)国なのですね・・・。

日本にも母体保護法(かつては優生保護法と言っていました)があるし、せっかくの平和憲法も改憲されて徴兵制が復活しそうなので、そんなところだけはスウェーデンに似ているかも(-_-)。

とにかく、戦争をやめてもらいたい。豊かさ云々の前に、殺し合いはやめてもらいたい。それに対してなんの利害もない子供たちを巻き込まないでもらいたい


これは環境問題についてのインタビューに応えた大貫さんの発言です。
元ネタはこの過去記事にリンクしてあります。

●スウェーデンの「断種法」については、この記事が詳しいです。

●北欧系アーリア人とナチスの優生思想についてはここが参考になります。 
posted by PFC at 09:00| Comment(0) | TrackBack(0) | | 更新情報をチェックする

2007年03月04日

「ユダヤ・キリスト教『世界支配』のカラクリ」最終回

これは「ユダヤ・キリスト教『世界支配』のカラクリ」1、そしておよびの続きです。

ここまで本書では「欧米社会の傲慢さ」の背景にある発想を批判してきました。一般社会での批判は、アメリカのキリスト教原理主義者に集約されがちですが、本書ではニーチェの哲学が批判に普遍性を与えています。では、どんな結論に到達したのでしょうか?

さすがにそれは本書を書店で手にとって読んで頂きたいので、そこまでは書きません。私が本書の内容を紹介してきたのは、この本がSWCによって出版停止になって、「事実」が闇に葬り去られる前に少しでも多くの人に知らせたいと思ったからです。

出版停止の件については、摘菜さんも公式ブログで言及しておられますが、もしかしたら心配する必要はないのかも知れません。そうなることを祈ります。

今回はこれまでに書き漏らしたことを補足します。

ベンジャミンさんは、アメリカで開かれた9.11の真相を追及する会議に出席したそうですが、その会議にはキリスト教の信者もいたそうです。

彼らは「『そのうちキリストが戻ってくるから大丈夫だ』と言って、何もアクションを起こそうとしない。僕はこの世で戦おうとしているのであって、あの世の話に逃げようとする人とは一緒にされたくない」とベンジャミンさんは言っています。

1でも引用しましたが、それは「キリスト教を信じるのは自由ですが、キリスト教が犯した罪に関してはきちんと検証するべきだ」という思いがあるからでしょう。

私も同感です。キリスト教が一方で愛を唱えながら、一方で殺人(戦争)を続けていたのでは、いつまでたっても平和にならないと思います。

このことを摘菜さんは、ニーチェの指摘に照らし合わせてこう表現しています。

ユダヤ・キリスト教は善と悪のうち、悪の存在を消してしまい、善の神様だけを利用して支配統治を始めた。


そして、キリスト教が異教を信じる人々を拷問した異端審問やカトリックとプロテスタントによる魔女狩りの例をあげ「キリスト教は敵対物として『悪魔=アンチキリスト』を必ず生みだす宗教です」と指摘しています。

それゆえキリスト教は、ユダヤ人やイスラム教徒を「悪」として位置付けてきたのです。

ベンジャミンさんもつい最近まで「アメリカの価値観で世界を同化させていくことが善であるとおおむね肯定していました。アングロサクソン的発想から目が覚めるまでは、マイナスの側面がほとんど見えていなかった」そうです。

アングロサクソン的発想とはWASP(白人でアングロサクソンのプロテスタント)を頂点とするアメリカ社会の構造に基づく発想のことでしょう。

続きを読む?
posted by PFC at 09:00| Comment(0) | TrackBack(0) | | 更新情報をチェックする

2007年03月03日

「ユダヤ・キリスト教『世界支配』のカラクリ」5

これは「ユダヤ・キリスト教『世界支配』のカラクリ」1、そしておよびの続きです。

では、いったいキリスト教の目的とは何でしょうか?

わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。


これは聖書に書いてある言葉です。ほかにも信者ではない人は首に碾臼(ひきうす)をかけて海に投げ入れてもよいと書いてあります。

異なる文化や宗教観念を徹底的に排除し、どうしても改宗しない人間は殺してでもキリスト教を認めさせようと言っているのです。

ここまで言うと「アメリカにだって善意のキリスト教徒がいるはずだ」「日本にだって他の宗教を否定する集団がある」と反論したくなる人もいるでしょう。

宗教における教義の間違いを批判して相手を正しく導くことと、相手の存在そのものを否定して殺すこととは根本的に違うのに、その点を誤解している人が日本には多いのです。なぜ誤解するのでしょうか?

本書では日本人がアメリカに洗脳されて現実を客観的に見られなくなっていると指摘しています。

何でもアメリカの真似をするように調教された結果、日本の教会で挙式する人が、青い目の白人の牧師を希望したり、英会話学校でも黒人や日系人を雇わない時代があったりしました。普段英会話学校でアルバイトをしている白人がニセ牧師として教会で働いているケースもあるそうです。

摘菜さんは「80年代以降のアメリカは、それ以前のアメリカとは異なるという認識が必要です」と述べ、現在の政権は「キリスト教原理主義とネオコンの結合という特殊な状況下でうまれた特殊な政権」だと言っています。

ベンジャミンさんは、「どうせ地球は壊れるもの」という終末論的発想は、環境破壊をしてもいいという危険な発想につながると指摘しています。本書の巻末には、今話題の映画「不都合な真実」に登場するゴア元副大統領の演説が掲載されています。

彼はアメリカの民主主義が危機に瀕していることを述べています。詳しいことは本書を手にとって読んで頂くとして、もう少しニーチェの引用を抜粋してみましょう。

続きを読む?
posted by PFC at 09:00| Comment(0) | TrackBack(0) | | 更新情報をチェックする

2007年03月02日

「ユダヤ・キリスト教『世界支配』のカラクリ」4

これは「ユダヤ・キリスト教『世界支配』のカラクリ」1、そしておよびの続きです。

本書の著者であるベンジャミンさんと摘菜さんは、ユダヤ・キリスト教のすべてを否定しているわけではありません。問題は、唯一神教の根本に、選民思想と終末思想があることです。

そして、それが西欧思想の根源になっていて、自分たちは神をバックに絶対正しいと主張し、他国にその考え(例えば民主化)を押し付けている傲慢な態度を問題にしているのです。

ベンジャミンさんは、キリスト教には矛盾する2つの流れがあると言っています。「それは、自分たちは絶対的に正しいとしてそれを押しつけるような、旧約聖書に見られる救世主(メシア)の思想。それと、マゾ的な羊になれという新約聖書です」。

そして、米国大統領が「侵略のために宗教を使っているのが矛盾の最たるものです。愛の宗教が戦争を引き起こす。そういう矛盾の同時進行がずっとあるんです」と続けています。

摘菜さんは9.11の後、米国大統領が「この十字軍、テロとの戦いには時間がかかるだろう」と発言し、その十字軍の流れをくむのが現在のアメリカのキリスト教原理主義者なのだと指摘しています。

これについては、田中宇さんによる分析が参考になります。
http://tanakanews.com/e0721secondcoming.htm
http://tanakanews.com/g0221iran.htm

続きを読む?
posted by PFC at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | | 更新情報をチェックする

2007年02月28日

「ユダヤ・キリスト教『世界支配』のカラクリ」3

これは「ユダヤ・キリスト教『世界支配』のカラクリ」1、そしての続きです。SWCがいよいよ出版社に圧力をかけてきているようです。この本が出版停止になったら「事実」が闇に葬り去られてしまいます。そうならないように、このブログではその内容の一端を紹介しています。

前回まではキリスト教の正体として、十字軍の遠征や、カトリックとプロテスタントによるユダヤ人差別、ナチスへの協力、そして9.11テロの捏造などが挙げられました。

それから、なぜキリスト教が「諸悪の根源」なのかが述べられました。

今回は、日本で最も熱い話題「日本国憲法」にもキリスト教が影響しているというお話です。日本国憲法の精神は、人権宣言や権利章典などにルーツを求めることができます。

「これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである(日本国憲法前文)。」

摘菜さんは前文の「かかる原理」がキリスト教の原理であると言っています。

西欧の民主主義は背後に神様がいないと成り立たない。かつての王権神授説が民権神授説に化けただけで、その権威は神聖かつ絶対的なものなのです。(略)単なる政治制度が、神の権威によって絶対化されてしまったわけです。


そのことの何がいけないのでしょうか?

続きを読む?
posted by PFC at 21:06| Comment(0) | TrackBack(0) | | 更新情報をチェックする

2007年02月27日

「ユダヤ・キリスト教『世界支配』のカラクリ」2

これは「ユダヤ・キリスト教『世界支配』のカラクリ」1の続きです。

日本では総人口のわずか1%未満しか存在しない一神教徒ですが、他の国ではどうでしょうか。

ベンジャミンさんは、ヨーロッパ、カナダ、南米などではキリスト教の影響力が弱くなっているのに、アメリカは例外で、「キリスト教原理主義が世界を動かそうとしている」と指摘しています。

摘菜さんによると、一般の人がキリスト教文明の成果だと思っているものの多くは、ギリシア文明に見出せるそうです。ギリシア文明をイスラム経由で導入しヘブライズムと融合させたのがキリスト教なのだそうです。

イスラムがなければ、西欧はいまだに中世のままだったかもしれず、古代ギリシアには、民主制、法治体制、自由競争原理、プライバシーの尊重などがあったそうです。

肝心なことは、それらの価値は決して唯一神によって保証されているものではなかったことです。

結果的に古代人が苦労して勝ち取ってきた人間の権利をまた神のもとへ返してしまったのがキリスト教なのです。

では、キリスト教がなぜ問題なのでしょう。ニーチェは人間を「畜群」にすると言っていますが、難しいことは本書を読んで理解してもらうとして、摘菜さんは「人間を弱体化し管理するシステムが問題」だと言っています。

ベンジャミンさんは具体例として「エリートがほかの人を羊にして操り、利用し終わったら殺したりする。それはいけない」と言っています。そして、「あの9.11は、まずイスラム教徒を抑えてから、次はアジアを調教する目的をもって行われたものだった」と指摘しています。

なぜキリスト教にはそんなことが可能なのでしょうか?

続きを読む?
posted by PFC at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | | 更新情報をチェックする

2007年02月23日

「ユダヤ・キリスト教『世界支配』のカラクリ」1

ベンジャミン・フルフォード、摘菜収 共著 2007年2月28日 徳間書店発行

ベンジャミンさんは元フォーブス誌のアジア支局長、摘菜さんはニーチェ研究家です。この本は二人の対談形式で話が展開していきます。今日から少しずつ内容を紹介していこうと思います。

まず、摘菜さんは自分の考え方を次のように述べています(抜粋)。

個別のキリスト教徒を批判するのではなく、「欧米社会の傲慢さ」の背景にある発想を批判するべきだと思います。信教の自由があるのですから、それは尊重するべきです。キリスト教を信じるのは自由ですが、キリスト教が犯した罪に関してはきちんと検証するべきだと思います。


ベンジャミンさんも「キリスト教のすべてを批判することはできません」と言っているので、SWC(昨日の記事参照)がこの本を反ユダヤだとして出版停止にしたい理由にはならないでしょう。むしろ本当の理由は他にあると考える方が妥当だと思えます。

私も摘菜さんの発言とほぼ同じ考えです。ただ、日本のように総人口のうち一神教徒が占める割合がわずか1%にも満たない国で、ここまでユダヤ・キリスト教を批判しても、社会に与える影響は小さいだろうと思います。

私は99%の日本人が一神教を信じていないことにほっとします。むしろ少数派である一神教徒(特にキリスト教徒)の方々に、この宗教を信じる意味についてよく考えて欲しいと思います。そして、その教えを布教している人々には、たとえどんな事情があるとしても、真剣に考え直して欲しいと思います。

上に引用したように、この本はユダヤ・キリスト教のすべてを否定しているわけではありません。ユダヤ・キリスト教徒にこそ手にとって読んでもらいたい本です。

続きを読む?
posted by PFC at 20:30| Comment(0) | TrackBack(0) | | 更新情報をチェックする

2007年02月18日

「チェチェンやめられない戦争」

アンナ・ポリトコフスカヤ著 三浦みどり訳 NHK出版 2004年8月25日発行

私は何も答えられない。なぜならプーチン時代のわが国は今、「一番大事なことについては黙ることになっている時代」なのだから。


日本の場合、いつからその時代が続いて現在に至っているのでしょう。あまりに寡黙な知識人が多すぎます。

この時代は個人個人がどうであるかなど関係のない時代で、「テロのない明るい未来」を築くために数千人の命が吹き飛ばされることをまたもや許してしまった冷血の時代なのだ(あとがき)。


チェチェンとロシアの関係が「テロ」「石油」「イスラム」などのキーワードで語られることに「昔だったらテロとは言われなかったことまでテロと呼ばれるなんておかしい」とTVで誰かが言っていました。

正義の旗印を掲げて、多くの民間人を巻き添えにして殺したアメリカやロシアがキリスト教を国教(ロシアは元は多神教を信じる人々だったのに、ローマカトリックの影響を受け入れたそうです)にしていることには無関心なのはなぜでしょう。冷血の時代の主役は彼らなのに。

分析をする人はいても、この時代を共有すべき人がいない(あとがき)。


日本でも専門家は分析に専念し、共有しようと努力する民間人は「あの事件は自作自演だった」と言われて吊し上げられるか、現地で不審な最期を遂げるのです。

私は生きていたい。でもそれよりもっと、大声で泣き叫びたい。(略)私たちは2003年を生き抜けるのだろうか?(あとがき)


この予感は的中し、彼女は2006年10月に暗殺されたのでした。この本を読みながら私も一緒に泣きそうになったけれど、日本人は彼女に涙ではなく血を捧げることになるでしょう。

私には肯定的な答えはない。そしてすべての悲劇はいつでも私たちを待ち構えている(あとがき)。


待ち構えている悲劇を前に、手をこまねいている日本人なのです。

続きを読む?
posted by PFC at 10:02| Comment(2) | TrackBack(0) | | 更新情報をチェックする

2007年02月04日

「帝室論」

福沢諭吉著 明治15年4月発表
明治憲法公布(明治22年2月11日施行は明治23年)、国会開設の8年前に書かれた文章です。結論は「帝室(皇室)は政治社外のものなり」ですが、それについては続きを読んで頂くとして、印象に残った文を引用します。

亜米利加の合衆国にては宗教も自由にして、政府に人を用いるにその宗旨を問わずと雖(いえど)も、武官に限りて必ずその国教なる耶蘇(やそ)宗門の人を撰ぶと云う。


耶蘇宗門とはキリスト教のことで、諭吉はそれをアメリカ合衆国の国教であるとして、他のことでは宗旨を問わないが軍人に限っては必ずキリスト教徒から選ぶと言っています。

続く文章で、欧亜諸国では政治や一般社会の安寧を維持するためにキリスト教の緩和仲裁力が功を奏していることを指摘し、日本でも高僧がその役割を担ってきた側面があることを次のように書いています。

我日本の如きは古来宗教に拘泥せざるの民俗なれども、僧侶善智識の一言を以って兵刃既に接するの戦を和解したるの例なきに非ず。(略)必ず一種の緩和力を頼てその社会の安寧を維持す。況や政治の大社会に於てをや。


そして、西洋諸国と日本では社会における宗教の影響力に違いがあるとしています。

西洋諸国に於ては宗教盛んにして、唯に寺院の僧侶のみならず、俗間にも宗教の会社を結んで往々慈善の仕組少なからず、為に人心を収攬(しゅうらん)して徳風を存することなれども、

我日本の宗教はその功徳俗事に達すること能わず、唯僅に寺院内の説教に止まると云うべき程のものにして、到底この宗教のみを以って国民の徳風を維持するに足らざるや明なり。


日本においては、宗教だけでは人の心をつかむことができないので、皇室がその要であることは明らかであることを次のように言っています。

我帝室は万世無欠の全壁にして、人心収攬の一大中心なり。


その功徳とは次のようなことだと述べています。

国民政治論の軋轢を緩和し、海陸軍人の精神を制してその向かう所を知らしめ(・・・以下略)


当時のアメリカ合衆国が軍人に限っては必ずキリスト教徒から選んでいたというのも、キリスト教が国の礎であるだけではなく、軍事のバックボーンでもあったからなのでしょう。

自国を守り、他国を攻撃し、その人命を奪うためにキリスト教が積極的に関与していたということですね。

欧米におけるキリスト教精神が、必ずしも万人への「愛と正義」に貫かれていたわけではないことを世界史が証明しています。日本人はこの後、それを身をもって体験したわけです。

日本人は耶蘇宗門の人々を「鬼畜」と呼びました(もっともアジア諸国で日本人は鬼子と呼ばれていますが)。鬼の心で愛の教えを説かれても・・・。

それは現在も同じで、アフガン・イラク戦争やイランとの関係にキリスト教が暗い影を落としています。

続きを読む?
posted by PFC at 09:00| Comment(0) | TrackBack(0) | | 更新情報をチェックする

2007年01月28日

ショートショート

★星新一さんという作家をご存知でしょうか。ご存知ない方は、こちらのサイトで特集が組まれていましたのでご覧下さい。

ページ数がほんの数枚で最後に落ちがある短いSF小説をたくさん書いていた人気作家です。SFといっても日常生活の延長にある近未来が舞台なのでSFに興味がない人でも読みやすい文章です。

その星さんの短編で最近よく思い出す物語があります。

続きを読む?
posted by PFC at 20:00| Comment(0) | TrackBack(0) | | 更新情報をチェックする

2007年01月14日

文化と平和

時折コメントを頂くミントさんが小林秀雄の講演録を推薦しておられたので、本を借りてきて読んでいます。

小林秀雄は詩人中原中也の友人であり、中也が同棲していた女性をめぐって三角関係になったことで有名です。なんとなく好かん奴だったので敬遠していましたが、真面目に読んでみると・・・。

文化という言葉は、本来、民を教化するのに武力を用いないという意味の言葉なのだ


思想が混乱して、誰も彼もが迷っていると言われます。(略)けれども、ジャアナリズムを過信しますまい。(略)思想のモデルを、決して外部に求めまいと自分自身に誓った人、平和という様な空漠たる観念の為に働くのではない、働くことが平和なのであり、働く工夫から生きた平和の思想が生まれるのであると確信した人、そういう風に働いてみて、自分の精通している道こそ最も困難な道だと悟った人、そういう人々は隠れてはいるが到る処にいるに違いない。私はそれを信じます。


これは敗戦から4年後の1949年、47歳の小林秀雄が「私の人生観」という演目で語った言葉です。

インターネットが解禁されて、当時は隠れているように見えた「そういう人々」が「到る処にいる」ことがわかりました。

続きを読む?
posted by PFC at 21:05| Comment(2) | TrackBack(0) | | 更新情報をチェックする

2006年12月22日

「SIGHT」30号

雑誌インデックスへのリンクはここから。

この号では改憲について特集が組まれています。中村医師へのインタビューも読めます。

教育基本法と憲法はセットでつくられたので、次は改憲が待っているでしょう。首相は5年以内に改憲すると明言しています。

sightのtを取ったらsigh(ため息(*_*)。
posted by PFC at 20:00| Comment(0) | TrackBack(0) | | 更新情報をチェックする

2006年11月12日

外国雑誌と女性誌

外国雑誌
 インテリアだったかファッションだったか内容は忘れたけれど、手にとった雑誌の広告ページを見て気づいたことがあります。

そろそろクリスマスシーズンなので、その関係の広告が何ページか入っているのですが、そのすべてが「ハッピー・ホリデイズ」になっているのです。確か9・11やアフガン・イラク戦争を契機としてアメリカではキリスト教を連想する「メリー・クリスマス」を使うことを自粛していると聞いています。

2、3年前からクリスマスカードではその傾向があったけれど、雑誌の広告まで統一しているとは徹底しています(他の雑誌は見ていないので使っているところがあるかも知れません)。アフガン・イラク戦争をキリスト教福音派が支持したことや、WTCでの犠牲者が複数の国、人種、宗教にわたっており、キリスト教だけが宗教ではないことを自省しているのだとか・・・。

先日頂いたコメントによると、合衆国大統領を支持しているキリスト教徒は人類が生き延びるためには「白人以外は皆殺しにしてよい」と考えてそれを実行しているそうです。究極の選民思想というのでしょうか。

それが本当かどうか私には確かめるすべはないけれど、日本でも福音派のキリスト教徒が「自分の薦めを受け入れない人には親切にしてあげない」と言っているのを聞いたことがあります。福音派は仲間以外に対して排他的で冷酷なところがあるのかも知れません。

アメリカには学歴や経歴に関わらず、良いものは良いと認める公平なところや、「ハッピーホリデイズ」のように、これは変だと思ったらすぐに改める潔いところがあります。こういう点だけは見習ってもいいのでは・・・。

続きを読む?
posted by PFC at 21:40| Comment(2) | TrackBack(0) | | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。