2009年11月22日

小雪

今日は小雨が降っていますが、雪が降ってもおかしくないぐらい寒いです。

私が子どもだった頃、初めて雪を見た日のことを覚えています。

当時住んでいた家の裏には小さい山があり、斜面はいろいろな植物によって彩られていました。

春先にはオオイヌノフグリで青く覆われ、夏にはいちぢくの木に実がなりました。秋は茶色い山肌の上をシマヘビが這って行く姿を観察しました。器用に体をくねらせながら滑るように移動する姿に自然の神秘を感じました。

そして冬のある日、家の窓から裏山を眺めていたら目の前にチラチラと白いものが舞い降りてきました。

ふわふわとしたそれは、焚き火の終わりに舞い上がる灰のように見えました。そこで4、5才だった私の口から出た叫びは「あっ、ゴミが降ってきた!」

灰=何かの燃えカス=ゴミ。

子どもの頃からロマンのかけらもない現実的な発想・・・。
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2009年06月02日

やまなし

私が子供だった頃、小学校の国語の時間に宮沢賢治の詩を朗読しました。

「やまなし」という詩の冒頭の部分が教科書に掲載されていたのです。



 二疋(ひき)の蟹(かに)の子供らが青じろい水の底で話てゐました。
『クラムボンはわらつたよ。』
『クラムボンはかぷかぷわらつたよ。』
『クラムボンは跳てわらつたよ。』
『クラムボンはかぷかぷわらつたよ。』
 上の方や横の方は、青くくらく鋼のやうに見えます。そのなめらかな天井を、つぶつぶ暗い泡が流れて行きます。


先生に指名された私は、クラムボンという言葉の響きが面白くて、ちょっと歌を歌うように節をつけて読んでみました。

読み始めると同級生が「歌っているみたい」と笑いました。読み終わると先生にも「普通に読めばいいよ」と言われました。

(せっかく工夫して朗読したのに・・:心の声)私はがっかりして着席したのを覚えています。

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2008年07月15日

絵画鑑賞

私が子供だった頃、日曜日の朝「日曜美術館」というTV番組をよく見ていました。

学校の教科書では知ることのできない画家や作品にまつわるエピソードが紹介されるので毎週楽しみにしていました。



ある時、スペインの宮廷画家ゴヤの絵画が紹介されました。その時の番組の内容はもう覚えていませんが、有名な「マハ」の絵だけではなく知られざる画家の一面を深く掘り下げた内容が感動的だったという印象が残っています。

後日同級生の家に遊びに行ったら、彼女の勉強机の横の壁にゴヤの絵が数枚飾ってありました。それも艶っぽいマハの絵ではなく、ちょっと不気味な我が子を食べる巨人の絵が飾ってあったのです。

同級生も「日曜美術館」を見ていて、ゴヤの生涯に感銘を受けた彼女はすっかりゴヤにはまってしまったのでした。

この番組はタイトルを若干変えて今でも続いている長寿番組です。
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2008年06月11日

落書き

私が子どもだった頃、高校の女子トイレのドアにこんな落書きがありました。

「悪の商人ナントカ」

黒々とした太い文字で、それは目線よりやや高い位置に書かれていました。「ナントカ」のところには、ある財閥系企業の名前が書いてあって、学校の先生が苦笑しながら「今でもこんなこと書くヤツがいるのかぁ」と言いつつ落書きをごしごし雑巾でこすって消していました。

先生が「今でも」と言ったのは、団塊世代が闘争に敗れてから随分時間が経っていたからでしょう。もしかしたら、先生は自分の青春を思い出して苦笑していたのかも知れません。

財閥解体」については、こんな説明があります。

お金がなければ生きていけない世界に生きていて「悪の商人」と無縁でいられる人は少数派なのかも知れません。

もしかしたら戦争に負けた日本人のほとんどが、知らないうちに(あるいは歴然と)その残滓をすすって飢えをしのいできたのでしょう。

その高校は昔は寄宿制で英語で書かれた教科書を使って勉強させるなど、日本の植民地政策に沿った海外で通用する実業家を育成することでは名門校だったことを私が知ったのはずっと後のことです。
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2008年05月07日

感謝大安売り

私が子供だった頃、高校の先生がこんな話をしてくれました。

ある会社に口数の少ない上司がいて、その人の部下は、上司がにこにこして冗談を言ったり、誰かの仕事ぶりを誉めたりしているところを一度も見たことがなかったそうです。

そんな上司が、ある日、部下に向かってぽつり「ありがとう」と言ったそうです。他の人に言われたのならどうってことないその言葉が、部下にはとてつもなく有り難く聞こえた・・・という話でした。

先生は「感謝の言葉は、しょっちゅう口にしていては有り難味がない」と言ってこの話を締めくくりました。

私は「ふうん。そんなものかぁ。」と心の中でつぶやきました。

それから私も大人になって、ある時しみじみとこの話を思い出すようなできごとに遭遇しました。

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2007年12月26日

しみじみニッポン

私が子供だった頃、高校の先生が授業中に「コネが無くなったら困る人がいる限り、日本からコネはなくならない」と言いました。

日本では就職する時に縁故採用があることが話題だったと記憶しています。先生の話は実力主義者よりもコネを当てにする人が多数派なのだというニュアンスでした。

高校生の私は、コネがない小数派にとっては不公平な話だと思いました。

大人になった今、この時の先生の話を思い出しながら、コネとはつまり何らかの権力につながることに他ならないのだと気づきました。

国民の大半が権力の恩恵にあずかっている社会で、政治改革が実現するはずはありません。今、日本が右傾化し戦争参加する国になりかけていても、それに反対する人間が少数派であるのも頷けます。

たとえ戦争で命を落とすことになっても、今までどおりコネや利権に依存したいのが大多数の国民の選択なのでしょう。

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2006年10月27日

いじめと愛国心教育

私が子供だった頃、小学校の同級生の男子に問題児がいました。今ならナントカ障害などと病名がつけられるのでしょうが、当時は学習態度が悪く同級生にいたずらをする問題児だと見られていたようです。

その男子が私の同級生の女子を集中的にいたずらの対象にしていました。具体的にどんなことをしたのか今では覚えていないけれど、たまりかねたその女子は、ある日「あの子の親に断固抗議する!」と級友の前で宣言しました。

小学校高学年とはいえ、私たちはまだ子供でした。大人を相手に直談判なんて・・・と、その女子が心配になり、同じクラスの何人かが一緒について行くことになりました。

その中になぜ私がいたのか、これも今では忘れてしまいました。ともかく、男子の家に到着すると、対応に出てきた母親に向かって同級生の女子は、正々堂々と胸を張り、まっすぐ相手の目を見て「あなたの息子に毎日いたずらをされて迷惑しています。お母さんから止めるように注意してください」と訴えました。

今時のお母さんなら逆切れして学校に怒鳴り込んできそうですが、そのお母さんの態度は立派でした。子供の言い分に神妙に耳を傾け女子の話を真面目に受け止めてくれました。

その後、男子のいたずらが止まったのかどうか、記憶がはっきりしないけれど、その女子は後に高校でクラスのリーダーとして生き生きと活躍したと聞いています。小学生の子供にだって「自分で考え、判断し、行動する」ことができるのです。

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2005年11月12日

叔父説

私が子供だった頃、雪山好きの叔父は、夏になるとカナダへ夏山スキーに行っていました。帰国後にお土産のチョコレートを食べながら、叔父から土産話を聞くのが好きでした。

雪山生活を語る叔父の話では、
「ガイジンさんは、腹がいっぱいになったら次は寝る(SEX)ことしか考えない」と言っていました。もちろん私は子供心に「いくらなんでもそんなことはあるまい・・」と怪しんでいました。

叔父説によると「ガイジンさん=食うか寝るか」になってしまうので、とりあえず「これか、あれか」思考法と言い換えておきましょう(ガイジンさんの国籍は不特定)。

それから数年後、ドイツ人留学生が英語と日本語を比較して次のように語っていました。
「英語は結論に向かって、思考がまっすぐ進んで行くが、日本語は結論に至るまでの思考に幅がある」

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2005年08月23日

学校のセクハラ

私が子供だった頃には考えられないような暴力事件やセクハラが学校で起きることが多くなったように思います。共同通信のニュースでは、こんなふうに取り上げています。

なかなかよい解決方法が見つからないようなので、私が高校生の時にクラス皆で解決した教師のセクハラについて書いてみます。

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2005年06月09日

学級委員さん

私が子供だった頃、中学校で行事がありました。内容はほとんど覚えていないけれど、クラス単位で何かを準備したような記憶があります。

その準備を中心になって進めたのが学級委員の人たちでした。当時は今と違って?成績優秀な子供が委員に選ばれていました。

その時もクラスで優秀な何人かの子供たちが催し物の準備をしたのでした。どの子も活発で自分の意見をはっきり言う目立つタイプだったので、クラスの人気者の委員さんたちでした。

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2005年04月01日

家庭画報的生活

私が子供だった頃、毎年夏休みになると数日を叔母の家で過ごしました。それは、私の母親が病弱だったために、長い夏休みの間、少しでも休養がとれるようにという叔母の配慮でした。

叔母の家で二人のイトコと遊んだり、豊かな自然の中を自転車で走り回ったりして過ごした夏休みは、とても楽しい思い出です。

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2005年03月12日

紅白饅頭

私が子供だった頃、小学校の創立記念日には毎年紅白饅頭を貰って帰りました。そのお饅頭は同級生のAさんのお母さんが勤めている和菓子店で作られていました。

かなりの大きさで、直径8センチぐらいありました。私は和菓子に使われている餡子の甘さが苦手で、いつもこの紅白饅頭を家に持って帰って家族に食べてもらっていました。

昨日は職場でお祝いごとがあって、記念に紅白饅頭が配られました。海外にも支店を持っている有名な和菓子店のお饅頭です。小学校で貰っていた饅頭と違って、小ぶりで直径6センチぐらいです。もっちりとした外皮に包まれた漉し餡は、甘さ控えめで餡子が苦手な私でも美味しくいただけました。上に乗っているのは、金粉です。電子レンジで少し温めると作りたてのような風味がしました。

manjukicchoan


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2005年02月22日

議会見学

私が子供だった頃、小中学校の社会科の授業で県議会を見学に行きました。1クラス40数人の子供たちがぞろぞろと列をなして県庁へ・・・。

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2005年01月11日

騒音

私が子供だった頃、家の周りをダンプカーやショベルカーが走り回っていました。近くに土建屋さんが住んでいたのです。その家の庭では、朝から夕方遅くまで耕運機がバタバタバタバタ激しい音をたてていました。

当時はまだ舗装されていない道路があちこちにありました。雨の降った日には、続きを読む
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2004年12月01日

イチローの思い出(訂正あり)

私が子供だった頃、同じクラスに皆からイチローと呼ばれている男子がいました。イチローは、中学校で1、2を争う秀才でした。忘れもしない中学生になって最初の英語のテストで、私はそのイチローよりいい成績をとりました。

凡才の私が良い成績をとれたのは、たまたま入学前に年長のきょうだいに教わって英語の勉強をしていたから、ほんの少しだけ他の生徒より先んじることができただけでした(今なら幼児教育で英語を学びますが、当時は一般的ではありませんでした)。それも小学生の面白半分のお遊びでした。

お遊びの結果だから私は単純に「わーい」と喜んでいました。そこへ同級生の男子がやってきてこう言いました。
「おい、お前のせいでイチローが泣いてるぞ」


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2004年11月22日

中学教師

私が子供だった頃、中学校の授業に「公民」が新設された時、先生方がいっせいに色めきたったのを覚えています。
「道徳の時間があるだけでもどうかと思うのに。お前ら公民の意味を知っているか?」と生徒に語りかけてくれた先生もいました。

どの先生だったかは覚えていないけれど、
「町の中の至る所に交番があるのはなぜか知っているか?あれは市民を守るためではなく、見張るために設置されたんだ」と教えてくれた先生もいました。

社会の授業では、明けても暮れても「日本国憲法」の条文を繰り返し、繰り返し書かされました。今覚えているのは「最低限度の文化的生活」をする権利があることだけだけど・・。生徒会活動がミニ国会の模擬活動だと教えてくれたのは誰だったでしょうか・・。

国語教師のI先生は、小柄なめがねを掛けた女性でした。いつだったか、授業中に
「私は自分の教え子が自衛隊に入るのだけは絶対に反対する」と力説したことがありました。

そんな時代だったのでしょうか・・・。
子供心に「そうなのか、そうなんだ」と教師たちの言葉は深く刻まれました。

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2004年11月16日

長屋の人々

私が子供だった頃、住んでいた家はいわゆる鰻の寝床、つまり棟割長屋でした。同じ間取りの世帯がずらりと何棟も軒を連ねていました。

そこに暮らす人々は、子供心に強く印象を残しました。いつもモンペを穿いていたNさんは、前歯が数本抜けていて年齢不詳の女性でした。後ろで結わえたざんばら髪は白髪だったけど、老人というほどの年齢でもなさそうでした。一人暮らしの彼女がどうやって生計をたてていたのかは謎で、子供どうしの噂では「お墓のお供えをこっそり盗み食いしている」と囁きあっていました。

Nさんのお隣は駄菓子屋さんでした。そこは老姉妹が二人で営むお店で、よく駄菓子を買いに行きました。

それからIさんというおじさんがいて、彼の家の斜向かいの家が妾宅でした。そこにはお妾さんとその娘さんが住んでいました。ある時、続きを読む
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2004年11月03日

女の人生

私が子供だった頃、近所で一人暮らしをしていた他所のお婆さんが家のなかで亡くなっているのを訪ねて来た身内が発見しました。子供心に、こんな田舎でも都会で起きるようなことが・・と驚いたものでした。

今日はお休みの日なので、何か楽しい話題をと思っていたのですが、やっぱり書きたいことを書くことにしました。

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2004年10月30日

時代劇

私が子供だった頃、夜のゴールデンタイムは時代劇が目白押しでした。私はおばあちゃんのひざの上で「水戸黄門」とか「大岡越前」とか「遠山の金さん」をよく一緒に見ていました。物語は勧善懲悪。悪人を懲らしめて改心させるのです。これを毎週繰り返し見ていたら、子供心にも「悪い人を見つけたら改心させなくちゃ」と思うようになるらしいです。そんな単純なのはあなただけと言われそうですが・・(^_^;)

ところで、今の日本人を見ているとお白州の上で神妙に裁きを待っている時代劇の登場人物みたいだなって思うことがあります。

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2004年10月22日

フェリーの旅

私が子供だった頃、親戚や家族と一緒にフェリーに乗って観光地へ出かけました。帰りのフェリーの甲板で、手すり越しに一人で海を眺めていた私を後ろから足で小突いて落とそうとした男性がいました。まだ小学校低学年で、身長も1メートル数十センチしかないちびで痩せていた私は手すりのすきまから海へ落っこちそうになりました。

その見知らぬ男性は、何度も私を小突いて止めようとしませんでした。「あー落っこちる」と思った時、父親が私を探しに来てくれて「わしの娘ぞっ!」と怒鳴ったのでした。男性は連れの仲間数人と一緒にその場を去りましたが、謝りもしませんでした。

今でも鮮明に覚えているということは、余程強烈な思い出なのでしょう。この体験が今の自分にどう影響しているのかわかりませんが、あの男性にはほんの冗談のつもりだったかもしれないことでも、私には殺されそうになった記憶の一つとして残っているのです。恐らくこれからも一生消えることはないでしょう。
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