2004年11月02日

人間を幸福にしない日本というシステム

原題”The False Realties Of A Politicized Society" カレル・ヴァン・ウォルフレン著 篠原勝訳 毎日新聞社発行。

1994年11月30日初版、翌年の2月に9刷だから、相当多くの人がこの本を読んでいると思います。この本に書いてあることについて、ほとんどの人が以下のどれかに当てはまる感想を抱いたのではないでしょうか。

★うすうす気づいていた
★よく知っていた
★当事者である

著者の主張は、日本は「官僚独裁主義」であり、民主主義とは異なる。日本社会は政府と経済界が融合し、どこからどこまでが公か私なのか判然としない。つまり「政治化された社会(A Politicized Society)」なのだ。日本の官僚の特徴は、議会に監視されることなく権力を振るうことができることである。

「彼らが権力を振るえる理由の一部は、普通の人の知らないことを知っているという事由に由来する。官僚たちは、知識人や編集者や他の高い地位にある人たちとのさまざまな同盟関係を組み、この支配階級という少数派の一部を形成している」(p.23)

著者は、このことを「目に見えない非公式の権力が政治のリアリティをつくり出すうえで大きく作用しているという。非公式であるがゆえ「説明責任の不在」が生じる。

一方、政治の主体であるはずの「市民」は、あたかも政府や君主に服従する立場にある「臣民」のごとく振る舞い、自分たちが「偽りのリアリティ(false reality)」を信じ込まされていることに気づこうとしない。本来、市民の代表であるはずの代議士(政治家)を敵視し、官僚やジャーナリスト、大学教員、経済人などが現状維持するのを手助けしている。

この本には新聞と大学が市民社会の力を弱めがちであるとの指摘もある。著者は日本の学者は「市民社会の知的中核として失格である」と断言している。これには私も深く頷いた。学生時代にリベラルだと信じていた教員に「自分は公務員なので・・」とお茶を濁された経験がある。

私が最も恐ろしいと感じたのは、司法システムが官僚たちの手中にあることである。行政権と司法権の分離が完全ではないのである。このまま裁判員制度が始まるとどうなるのだろうか?最近の報道によると構造改革は、国民が考えているものとは違うという論説があった。

著者は日本人ではなく日本のシステムを批判するといっているが、それがいえるのも所詮は外国人だからかもしれない。都合が悪くなれば逃げ帰る場所があるからではないだろうか。

※追記 本の終わりの方で著者は、この本を出版することを阻止しようとする脅しが「部落解放同盟」からあったことを告白している。その脅しに屈することなく出版に踏み切った勇気はすごいと思う。追記終わり。

路頭に迷うことを恐れる知識階級も情けないが、同様にことなかれ主義で右傾化に甘んじる市民も情けない。私はたった一人のヒーローやヒロインが必要なのではなく、1億数千万人の「市民化」が必要なのではないかと思いますが・・。
posted by PFC at 19:07| Comment(0) | TrackBack(0) | | 更新情報をチェックする
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