2007年09月20日

こぼれ話

数年前、たまたま見た外国製のTV番組にこんなお話がありました。

登場するのは、若い夫婦とその子ども(たち)。物語は夫婦の子どもが死んでしまうところから始まります。夫はその事実をすぐに受け入れますが、妻は「そのうち子どもが生き返る」と信じています。

妻は熱心なクリスチャンで、聖書に書いてある「再生」を信じているのです。子どもの死をきっかけに妻の信仰は熱狂的になり、夫は妻が正気を失っているのではないかと心配します。

最後には妻もやっと子どもの死を受け入れ、死んだ子どもは生き返ってこないことを認めます。ラストシーンで、夫とともに子どものお墓に花を手向ける妻の顔がとても穏やかでした。

先日書いた「神は妄想だ」や「日経サイエンス10月号」で紹介したドーキンス教授の著作を読んでいてふと思い出した番組です。

教授は星占いやスピリチュアルな体験談を信じやすい人のことをこんな風に描写しています。

大人になってもだまされやすいままなのは、失われた子ども時代の安心や気楽さに憧れている、いや恋焦がれているためではなかろうか。


そしてこう続けます。

大人の世界は冷たく虚しい。たしかに、テディ・ベアやお人形さんは生きていないことがわかってしまった。だがベッドをともにする相手は彼らだけではない。

生きていて、暖かくて、話したり、考えたりする大人の人間が、側にいてくれる。こちらのほうが子どものぬいぐるみよりも、充ち足りた気持ちにさせてくれるはずだ。「虹の解体」リチャード・ドーキンス 2001年 早川書房より抜粋。


大人の人間は、DV夫(妻)だったり、浮気者だったり、浪費家だったりして「何考えてるんや(-_-メ)」と言いたくなることだってあるのが現実かも知れません・・・。

ま、それは兎も角、「光」がプリズムを使って七色に分光されてしまった時、ロマン派の詩人たちはこぞって科学者を非難したそうです。

望遠鏡の向こうに見える光を星だと思うか、神だと思うかはロマンチックな詩心によって決まるのでしょうか・・・。

たとえどんなロマンチストであっても、そして側にいる大人の人間に物足りなさを感じているとしても、その光が地球の反対側で戦争や紛争などの暗い影をつくっている事実を受け入れる程度には現実的であって欲しいものです。
posted by PFC at 11:00| Comment(0) | TrackBack(0) | TV番組 | 更新情報をチェックする
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