2007年09月02日

「神は妄想だ−宗教との決別−」補足

原題「The God Delusion」で紹介したリチャード・ドーキンスについて「悪魔に仕える牧師」より補足します。

1941年生まれのオクスフォード大学教授 欧米で人気の高い生物学者。代表作「利己的な遺伝子」。

教授は9・11以降、宗教に触れないことを尊重する態度を改めることにしたそうです。

今こそ、知識人が、信仰をもつ人々に反対して、立ち上がって「もう十分だ!」と叫ぶときだ。


そして9.11の犠牲者へ捧げる決意を次のように書いています。

集団として信じるように仕向けてきたことのゆえにその団体を尊重するのではなく、一人一人が個人として考えることのゆえに人々を尊重するという決意である。


信仰をもつ人々とは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教を信じる人々のことです。教授は「三者とも、同じ暴力的で報復的な<争いの神>に対して歴史的な忠誠を誓っている」と述べています。

たとえばヒトラーが反ユダヤ主義だったのは、彼がローマ・カトリック信仰を終生捨てなかったからなのだそうです。

ヒトラー自身が演説でそのことを述べていることを指摘しているサイトがあります。
http://nobeliefs.com/speeches.htm

教授は宗教そのものが戦争やテロ攻撃の動機づけになっているとは言っていません。教授の論点は「宗教が『われわれ』に敵対するものとしての『彼ら』を識別するための、基本的なレッテル、最も危険なレッテルだ」ということなのだそうです。

誰かに「敵」というレッテルを貼りつけるとき、宗教がその装置として機能しているというのです。

それは唯一神が伝統や日常の習慣に浸透している欧米や中東諸国の話で、日本のキリスト教徒は違うと考えるでしょうか?

残念なことに、日本でもそれぞれ宗派の異なる何人ものキリスト教徒が、特定の教団に対して敵意を剥き出しにするのを何度も目にしたことがあります。

それは特定の教団に「敵」というレッテルを貼りつけるためにキリスト教が機能している例だといえるでしょう。

さっきまで「愛」だの「光」だのと言っていた人が、一瞬にして敵意と憎しみで心を一杯にする姿を見れば「もう十分だ!」と反対したくなる教授の気持ちもわかります。

私は知識人ではないけれど、日本人も今こそ唯一神を信仰する人々に反対して立ち上がる(たとえば別の価値観を示す)ときだと思います。

宗教(唯一神教)を批判するのはおかしい、お互いの違いを尊重するべきだという考えは、今の時代には立派なようで的はずれなのです。

唯一神教による世界観に支配されていない日本だからこそ、中立的立場から唯一神を信仰する人々に反対して立ち上がることができるのではないでしょうか。

そして、実は日本のキリスト教徒こそ、欧米や中東ほどには唯一神教の世界観に支配されていないという意味で、その役割がふさわしいのではないかと思います。

平和のために、日本のキリスト教徒が自らの信仰に反対し立ち上がるのです。
posted by PFC at 09:00| Comment(0) | TrackBack(1) | | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/53574594
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック

多神教礼賛(アニミズム礼賛)
Excerpt: 遅くなりましたが、愛のまぜご飯さんの「分離フェンス」から、お約束していたトラックバックです。 上記記事にコメントした内容をすこし整理したいと思います。 宗教、特に一神教は、人の心を利用し、戦争..
Weblog: にぶろぐ
Tracked: 2008-01-02 12:41
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。