2007年08月15日

「夕凪の街 桜の国」

日本が戦争に負けて、やっと戦争が終わった記念日に観ました。映画情報はここです。

レビューには、原作(漫画)の方が表現が細やかでいいという感想が多いようです。私はまだ原作を読んでいませんが、じゅうぶん伝わるものがありました。鑑賞しながら泣いている人も多かったです。

夏休みでもあり館内はほぼ一杯でした。その中に一人だけ外国人女性がいました。外見から欧米のどこかの出身と思われましたが、日本語の映画をちゃんと理解できたでしょうか。どんな気持ちでこの映画を観たのでしょう。

映画では被爆者が今日に至るまで戦後をどんな風に生き、どんなふうに死んでいったかが描かれています。原爆の被害者である被爆者への差別や偏見があることも・・・。

ところで、夏目漱石の弟子として有名な作家野上弥生子さんが、岩波写真文庫「広島」の書評(1952年『図書』掲載)にこんなことを書いています。

原爆の広島についてはこれまでも多く読み、多く聞き、多く知っていたつもりであったが、読み、聞き、知っていたのはただ知識に過ぎなかったのをこの写真は教える。


広島の人格化において私は彼女の痛ましい運命を嘆いたが、それは天災でもなければ神わざでもなく、人間がつくりだした、ということを忘れてはならない。ちょうど広島の空に炸裂したウラン爆弾が人工的なものであったように。


またそれ故に救いなしではない。人間がつくるものであるからには、人間の意思次第ではつくることがやめられるのだ。ノオ・モア・ヒロシマを私たちがどこまでも叫びつづけようとする意義もそこに存する。


福沢諭吉はアメリカの国教がキリスト教であり、武官は必ずキリスト教徒から選ぶと言っています。20世紀末から21世紀にアメリカの大統領は聖書に書いてある予言「最終戦争(ハルマゲドン)」を公言しただけでなく実際に戦争に臨みました。

時代は違ってもアメリカが参戦する時、その戦争は「人間がつくりだした」だけでなく「神わざ」でもあるのです。

だから私は、神が人間によって発見(あるいは発明)されたのであれば、武器と同様人間の意思次第では信じることがやめられるのだと思います。

唯一神が決して平和をもたらさないことを私がどこまでも叫びつづけようとする意義もそこに存するのです。私はそれを死んでもやめない。

私は唯一神を信じないので、生きている間に神に出会うことはあり得ません。でも、私が死んであの世へ行けば、あの世にならば何かの神様がいるかも知れない。

それならば、私はあの世で神様に「世界を滅茶苦茶にしておいて何が愛だ。」と一言文句を言ってやりたい。

※復刻版岩波写真文庫「広島」へのリンクです。
posted by PFC at 21:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | 更新情報をチェックする
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