2004年12月21日

ザ・ヒューマンD−高遠菜穂子さん−

この番組を見るのは、前回に続いて2回目です。今回はイラクで人質となった高遠菜穂子さんのその後を追ったドキュメンタリーでした。

彼女が渦中の人だった時に、皆と一緒になってあれこれいう気にはならなかったけれど、こうして落ち着きを取り戻しつつある今なら少し感想を書いてもいいでしょうか・・(番組と雑誌「クロワッサン11/10号のインタビュー記事を参考にしています)。

この番組を見ていると、高遠さんが抱いているイラク人への気持ちの強さを感じる。そして、あんな事件がなければ、ボランティアに打ち込むごく普通の女性なのだなと思った。

高遠さんは、この番組で次の目標としてイラクに学校を建設する夢を語った。イラクで拘束されている間に集まったカンパが800万円ぐらい残っているのだそうだ。彼女の周りにはPTSD(心的外傷後ストレス障害)になるほどの批判や攻撃をする人もいたけれど、励ましや支援を送る人もたくさんいたということだ。

批判の中心は「自己責任」と彼女の過去を中傷するものだろう。自己責任については、「イラクから帰国して、ものすごいバッシングを受けたときは、本当につらかった。(中略)自己責任というのは、何があっても、たとえ死んでも文句は言わないということです。昔からずっとそう思っていました。でも今回の“自己責任”は私の考えているものとは少し違うと思っています。」(p.64 クロワッサン11/10号)と心中を告白している。

「自己責任論」は政府とマスコミによって作為的に操作された世論だとする説がある。このことについて私に持論があるわけではないので、ここでは触れないことにする。それはさておき、高遠さんは自分の過去について「私も若い頃は悪ガキで、シンナーを吸っていたこともあったので彼らの気持ちが分かるんです」(p.65 クロワッサン11/10号)とストリートボーイズへの思いを語っている。

彼女を批判した人の中には、そのような過去を持つ人には海外支援活動やボランティアに携わって欲しくないと考える人がいたのだろうか?なぜ過去は過去として、前向きな気持ちに変化した高遠さんの心をありのままに受けとめられないのだろうか?支援される側にも「こんな人の支援は受けたいが、こんな人の支援ならいらない」と考える人がいるのだろうか?それなら支援する側の人間が「この人は支援したいけど、こんな人は支援したくない」と考えることもあり得るのだろうか?

そのような選り好みが支援される側と支援する側の双方から援助現場で起きているのだろうか?あるいは自ら支援の手をさしのべない人に限って「あの人はいいけど、この人は駄目」と勝手なことを言っているだけなのだろうか?

なんだか日本では理屈や議論ばかりが賑わって、行動が伴っていないような気がする。そういう私も目先のことにとらわれがちだけれど、小さいことの積み重ねはしてきているつもり・・・。今気になるのは、専門家とか知識人と言われる人たちは何をしているのだろうということ。専門家の人たちももっと市民の側に来て欲しいと思う。知っているのに「黙っていた方が無難」と決め込まず、出すべき情報は出して欲しい。


話を番組に戻すと、解放後「イラクの人を嫌いになれない」と言っていた高遠さんは、日本に帰国し、今度はイラクの隣国ヨルダンに向かい、そこでイラク人のボランティア仲間と落ち合う。

彼らもかつてはアメリカへの憎しみでいっぱいだったそうだが、高遠さんに出会って前向きな気持ちに変わっていったという。イラクに残してきた元ストリートボーイズの写真を見て喜ぶ高遠さんも彼らがノートパソコンを開いてイラクで起きた結婚式爆撃の映像を見せると号泣した。

最後にビデオレターでイラクに残してきた子供たちへメッセージを送る時には、とても嬉しそうな笑顔だった。

前回も含めて、この番組の制作意図には曖昧さを感じることがあるけれど、今回は高遠さんが無理して頑張っているのじゃなく、やりたいことをごく自然にやっているだけという姿勢が感じられた。今でもいろいろ批判はあるのだろうけど「つまいづいたっていいじゃないか」とお互いに言いあえる市民でありたいな・・・。

posted by PFC at 21:42| Comment(0) | TrackBack(0) | TV番組 | 更新情報をチェックする
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