2009年06月02日

やまなし

私が子供だった頃、小学校の国語の時間に宮沢賢治の詩を朗読しました。

「やまなし」という詩の冒頭の部分が教科書に掲載されていたのです。



 二疋(ひき)の蟹(かに)の子供らが青じろい水の底で話てゐました。
『クラムボンはわらつたよ。』
『クラムボンはかぷかぷわらつたよ。』
『クラムボンは跳てわらつたよ。』
『クラムボンはかぷかぷわらつたよ。』
 上の方や横の方は、青くくらく鋼のやうに見えます。そのなめらかな天井を、つぶつぶ暗い泡が流れて行きます。


先生に指名された私は、クラムボンという言葉の響きが面白くて、ちょっと歌を歌うように節をつけて読んでみました。

読み始めると同級生が「歌っているみたい」と笑いました。読み終わると先生にも「普通に読めばいいよ」と言われました。

(せっかく工夫して朗読したのに・・:心の声)私はがっかりして着席したのを覚えています。

それからは国語の時間に指名されても「普通に」「棒読み」することにしました。

それっきり「工夫して読んでみる」機会はありませんでした。



ところが、その時は思いがけない形でやってきたのです。

市民団体が主催する催しに有名な女優さんが招かれ、朗読のワークショップをすることになったのです。

私はワークショップがあることを知らずに参加し、女優さんが語る平和への思いに惹かれて朗読にもチャレンジしてみることにしました。

さすがに子供の頃のように無邪気に心の趣くままに・・というわけにはいきませんでしたが、とても貴重な機会に恵まれたと思いました。

楽しくて朝から夕方まであっと言う間に過ぎてしまいました。

今まで観劇することはあっても自分が舞台に立ちたいと思ったことはなく、俳優という職業にも興味はなかったですが、直に女優さんが語る平和への思いを知り、俳優という職業のすばらしさに気づきました。

世間の注目を集められる存在であれば、それだけ多くの人に言葉を伝えられます。

台本は戦争を体験した一般市民が書いた詩です。市民の声を語り継いでいくことを決意して実行している女優さんたちに感動しました。


小学校の教科書では省略されていた「やまなし」の続きはこうです。

『クラムボンは死んだよ。』
『クラムボンは殺されたよ。』
『クラムボンは死んでしまつたよ………。』
『殺されたよ。』
『それならなぜ殺された。』


蟹の兄弟の会話では「知らない」ことになっているその理由を私たちは少しずつ明らかにしてきました。

何も知らずに8月の空に消えていった数万の魂に「小さい声では伝わらない」と女優さんは何度も注意してくれました。

たとえ笑われても、もう少しだけ大きい声を出してみましょう。
posted by PFC at 09:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 子供だった頃 | 更新情報をチェックする
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