2004年11月16日

長屋の人々

私が子供だった頃、住んでいた家はいわゆる鰻の寝床、つまり棟割長屋でした。同じ間取りの世帯がずらりと何棟も軒を連ねていました。

そこに暮らす人々は、子供心に強く印象を残しました。いつもモンペを穿いていたNさんは、前歯が数本抜けていて年齢不詳の女性でした。後ろで結わえたざんばら髪は白髪だったけど、老人というほどの年齢でもなさそうでした。一人暮らしの彼女がどうやって生計をたてていたのかは謎で、子供どうしの噂では「お墓のお供えをこっそり盗み食いしている」と囁きあっていました。

Nさんのお隣は駄菓子屋さんでした。そこは老姉妹が二人で営むお店で、よく駄菓子を買いに行きました。

それからIさんというおじさんがいて、彼の家の斜向かいの家が妾宅でした。そこにはお妾さんとその娘さんが住んでいました。ある時、私がボール遊びをしているうちに、うっかりその家のガラスを割ってしまいました。慌てて家に戻り、母親に相談したところ「自分で謝りに行きなさい」と言われ、恐る恐るその家をたずねました。

出てきたのはお妾さんの娘の方で、一通り小言を頂戴し、もう終わりかなと思っていたら、突然自分の身の上話を始めたのでした。「どんなに肩身が狭い思いをしているか・・」日ごろ胸に溜まっていた思いが一気に噴き出したようでした。

私が家に戻って一部始終を母親に報告したところ「それはいくらなんでも社会勉強のしすぎだ」と母がうろたえていたのを思い出します。

狭い地域に大勢がひしめき合って生活していたので、隣近所の事情は子供の耳にも入ってきました。数軒先には、母親が出て行って父子世帯となった家もありました。中学生ぐらいの姉妹が助け合って家事をこなしていた姿を覚えています。ある時、妹の方が「お母さんが出て行かなければこんな苦労をしなくてすんだのに」と愚痴をこぼすと姉がそれをたしなめていました。

私の母親も病気で入院していて家にいなかったので、よくこの姉妹の所へ遊びに行っていました。このお姉さんは、遊びに来た私に勉強を教えてくれたり蒸しパンを作って食べさせてくれました。とてもしっかりした人でした。

その後、この長屋は取り壊され、皆散り散りになってしまいました。
posted by PFC at 19:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 子供だった頃 | 更新情報をチェックする
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